| 陶弘景、字は通明。晩年には自ら華陽隠居と号した。 |
| 丹陽抹陵(江蘇省鎮江市付近)の人。南朝宋の孝建3年 |
| (456)に生まれ、梁武帝の大同2年(536)没。80歳 |
| だった。南北朝時代、前回登場した葛洪と比肩する医薬 |
| 学者である。 |
| 陶弘景は幼い頃から勉強好きで、10歳のときに葛洪の |
| 『神仙伝』を読んで深い影響を受けた。南斉再建後、高 |
| 宗は陶弘景を招聘して左衛殿中将軍を授け、諸王侍読と |
| したが、まもなく、辞職し、茅山に隠居し、煉丹(科 |
| 学)鋳剣、仙薬採集、天文観察、古典の整理研究にうち |
| こんで40年をすごした。 |
| 後、斉にかわって梁を建国した武帝肖衍は陶弘景の才 |
| 知をよく理解していたので国家の大事には必ず前もって |
| 意見を聞いていたという。当時の人たちは陶弘景を「山 |
| 中の宰相」と呼んだ。 |
| 陶弘景の著作は44部といわれる。『論語集注』『帝暦 |
| 年代』などの他、医学薬学関係の著作に『本草経集注』 |
| 『肘後百一方』『效験方』『服草木雑薬法』などがあ |
| る。しかし、『本草経集注』『肘後百一方』の他は全部 |
| 散佚してしまった。 |
| 陶弘景の医学史における貢献は、『神農本草経』の科 |
| 学的整理にある。薬学の祖『神農本草経』が成立したの |
| は、この列伝シリーズ第一回で紹介したように秦・漢の |
| ころだが、長い年月を経るうちに混乱や転写の誤りなど |
| が生じていた。そこで陶弘景が『本草経集注』を著し、 |
| 全面的な整理を行ったのである。その業績はたとえば、 |
|
| ○『名医別録』(編者不詳)の中から新たに選んだ365 |
| 種の薬物を『神農本草経』に加え、全部で730種と2倍 |
| に増やした。 |
| ○『神農本草経』では、上・中・下の三品に分類されて |
| いるが、これを玉石、虫獣、果、菜、米食、有名未用と |
| 分類しなおした。 |
| ○臨床の場で実用的に使えるよう、薬物を80種の性質に |
| 分類しなおした。 |
| ○薬物の寒熱の性質(熱の病気には寒剤を、寒の病気に |
| は熱剤を投与するのが漢方医学の原則)を詳しく分類し |
| た。 |
|
| これらの業績は、次の唐代の『新修本草』へ受け |
| 継がれ、以下歴代王朝の勅選がくりかえされ、現代の新 |
| 中国の『中薬大辞典』に結晶している。 |