| 張元素、字は潔古、金の易水(今の河北省易県)の |
| 人。生卒年は不詳。易水学派の創始者。 |
| 8歳で童子試を受け、27歳で経義科の進士に合格しま |
| したが、禁忌に触れて除名され、以後は士官の道を捨 |
| て、医学に専念しました。ある日、大斧で自分の胸を切 |
| り開かれ、数冊の医学書をつめこまれる夢を見て、医術 |
| に開眼したといいます。 |
| 河間の劉完素は当時名医として有名でしたが、彼は張 |
| 元素を馬鹿にしていました。ある時、劉完素は傷寒を患 |
| い、処方を誤って頭痛がひどく脈は早く打ち、吐き気が |
| して食事も喉を通らなくなりました。弟子は見守るだけ |
| でなすすべもなく、張元素を呼んできました。ところが |
| 劉完素は顔をそむけたまま見向きもしませんでした。張 |
| 「どうして私を見下すのです?せめて脈だけでも」と脈 |
| を診て「はじめに某薬を服用しましたな!」劉「そのと |
| おりじゃ」張「たいへんな見立て違いでしたな」劉はそ |
| の言葉を聞くと即座に起きあがり「何と申す?」張「某 |
| 薬は性寒にして下降し、太陰を走るが故に陽亡び、汗出 |
| ず。いまの脈のぐあいでは某薬を服用されるべきでしょ |
| う」劉完素は聞いてその通りだと思い、その医術に敬服 |
| し、これ以後張元素の名は天下に広まった、といいます。 |
| 張元素の医学思想はこのエピソードにも現れているよ |
| うに、陽〔火〕を重視するもので、劉完素の「攻火」と |
| は対照的であり、また環境や社会的条件によって病気は |
| 変遷するものだから、古方に拘泥することなく古方を応 |
| 用して新方を作るべきだと主張したことがあります。こ |
| うした彼の学説を彼の生地の名をとり「易水学派」と称 |
| したのです。この学派から李東垣など日本の漢方医学に |
| も大きな影響を与えた人物が排出するのです。 |
| 張元素には著作がたくさんありますが、『医学啓源』 |
| 『臓腑標本薬式』が代表的な著作で、他に『珍珠?薬性 |
| 賦』があり、薬物の気味・陰陽・厚薄・昇降の微妙を解 |
| 説し、李時珍は「『霊枢』『素問』以後の医学書では彼 |
| が第一人者である」と賞賛しています。 |