漢方医列伝










「漢方医列伝」

張元素
(12〜13世紀)

 

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 張元素、字は潔古、金の易水(今の河北省易県)の
人。生卒年は不詳。易水学派の創始者。
 8歳で童子試を受け、27歳で経義科の進士に合格しま
したが、禁忌に触れて除名され、以後は士官の道を捨
て、医学に専念しました。ある日、大斧で自分の胸を切
り開かれ、数冊の医学書をつめこまれる夢を見て、医術
に開眼したといいます。
 河間の劉完素は当時名医として有名でしたが、彼は張
元素を馬鹿にしていました。ある時、劉完素は傷寒を患
い、処方を誤って頭痛がひどく脈は早く打ち、吐き気が
して食事も喉を通らなくなりました。弟子は見守るだけ
でなすすべもなく、張元素を呼んできました。ところが
劉完素は顔をそむけたまま見向きもしませんでした。張
「どうして私を見下すのです?せめて脈だけでも」と脈
を診て「はじめに某薬を服用しましたな!」劉「そのと
おりじゃ」張「たいへんな見立て違いでしたな」劉はそ
の言葉を聞くと即座に起きあがり「何と申す?」張「某
薬は性寒にして下降し、太陰を走るが故に陽亡び、汗出
ず。いまの脈のぐあいでは某薬を服用されるべきでしょ
う」劉完素は聞いてその通りだと思い、その医術に敬服
し、これ以後張元素の名は天下に広まった、といいます。
 張元素の医学思想はこのエピソードにも現れているよ
うに、陽〔火〕を重視するもので、劉完素の「攻火」と
は対照的であり、また環境や社会的条件によって病気は
変遷するものだから、古方に拘泥することなく古方を応
用して新方を作るべきだと主張したことがあります。こ
うした彼の学説を彼の生地の名をとり「易水学派」と称
したのです。この学派から李東垣など日本の漢方医学に
も大きな影響を与えた人物が排出するのです。
 張元素には著作がたくさんありますが、『医学啓源』
『臓腑標本薬式』が代表的な著作で、他に『珍珠?薬性
賦』があり、薬物の気味・陰陽・厚薄・昇降の微妙を解
説し、李時珍は「『霊枢』『素問』以後の医学書では彼
が第一人者である」と賞賛しています。
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