| 張従正、字は子和、号は戴人。雎州考城(今の河南省 |
| 蘭考県)の人。前々回の劉完素の後を継ぎ、汗吐下の三 |
| 方を主張した「攻邪派」の代表。金の海陵王正隆元年 |
| (1156)生まれ、哀宗正大五年(1228)卒。享年72 |
| 歳。劉完素に次ぐ金元四大家のNo.2。 |
| 張従正は豪放磊落で親しみやすい人柄だったそうで |
| す。代々医者の家に生まれ、『内経』『難経』『傷寒 |
| 論』等の医学書に精通しました。青年時代は軍医とな |
| り、都の太医院に招かれたこともありましたが、没病の |
| 流行する乱世に身を置き、上官の送迎や馬前での敬礼と |
| いった醜態にたえられず、ほどなく職を辞して郷里に帰 |
| り、開業して人々の治療にあたりました。勉学・診療の |
| かたわら詩歌をよくし酒を愛し、金朝の統治に対する不 |
| 満から「一張の琴、一壺の酒、一渓の雪、五株の柳」 |
| 「紙の窓、土のオンドル、酔いて復た酔い日に夕にまま |
| 醒めれば五斗を呑む」生活を送る趣味人であったといい |
| ます。「竹林の七賢」に代表される、中国人が好む知識 |
| 人のタイプのひとつの典型です。 |
| 張従正は劉完素に私淑し、寒涼の薬(攻邪の薬)を多 |
| く用いました。病気の原因を風暑湿火燥寒の六つに大き |
| く分類し、これらの邪気を一切の疾病の根本的原因と |
| し、先づ邪を除いて正安を得るのが診療方針で、「そも |
| そも病というものは人の身体にもとからあるものではな |
| く、邪気が外からは入ってきたり内から生ずるものだ」 |
| と主張しました。 |
| 漢方医学の基本は、正気(体の丈夫さ、抵抗力)が衰 |
| えると邪気(病因、代表的には伝染病の細菌)が身体に |
| 侵入してきて病気をおこすと考えます。だから治療は正 |
| 気を扶ける(補う)のと、邪気をたたく(瀉す)の二本 |
| 立てとなります。どちらに重点をおくかで漢方医それぞ |
| れの個性が出るのです。金元四大家No.1とNo.2の劉完素 |
| と張従正はともに邪気をたたく(攻邪)に重きをおいた |
| のでした。この考え方は、江戸時代元禄の頃より日本の |
| 漢方の主流となった「古方派」と一脈愛通ずるもので |
| す。 |