| 王好古、字は進之(信之)、号は海蔵。金の趙州(今 |
| の河北省趙県)の人。承安五年(1200)ごろ生まれ |
| た。進士に合格し、趙州教授の官についた。 |
| 王好古は李杲とともに張元素に学び、後に李杲を師と |
| して、学術思想と医療技術を全面的に受け継いだ。張元 |
| 素の臓腑弁証の影響を受け、陰証と虚損の研究を重視し |
| た。また李杲の脾胃学説の影響を受けた。張元素ー李杲 |
| (東垣)ー王好古のながれは易水学派と呼ばれる。伝 |
| 記、エピソードの記録など少なく、生い立ちはよくわか |
| らないが、その著作はよく知られている。 |
| 二十種あまりの著作があり、なかでも代表的なのは |
| 『陰証略例』『医塁元戎』『湯液本草』『此事難知』な |
| どで、後世の人々に重んじられた。 |
| 『陰証略例』一巻は、宗の端平三年(1236)に書か |
| れ、陰証傷寒学説を論じている。伝染病の発症から死亡 |
| へいたる過程、初めは陽証だがだんだん抵抗力が弱まっ |
| て、陰証になり、やがて死亡するという『傷寒論』に説 |
| かれている「陰証」の部分を取り出し、陽証は弁じやす |
| いし、治しやすいが、陰証は難しいとした。さらに、伝 |
| 染病ではない難病(たとえば、冷たい物を飲み過ぎたた |
| めの腹痛)の診断を『傷寒論』の陰証(大陰・小陰・厥 |
| 陰)にあてはめて、『傷寒論』に収録する方剤で治療し |
| ている。当時の内経医学の大陰・小陰・厥陰という三陰 |
| と『傷寒論』の三陰とを結びつける仕事であった。 |
| 『医塁元戎』というタイトルは「良医の用薬は臨人の |
| 用兵の如し」に由来するという。 |
| 『湯液本草』は、張元素や李杲などの著作を含めた、 |
| 宗元の頃の薬物書の集大成といえる。この書物では、帰 |
| 経と引経という考え方で薬物を解説している。帰経と |
| は、薬物が身体の中の、何という経(およびそれに属す |
| る臓腑)に行きつくはずだ、どこで効くのだ、という説 |
| であり、引経とは、Aという薬物の薬力をより効果的に |
| 発揮させるために、同じ処方に配合されているBの薬物 |
| が、Aを引っぱって経、臓器へ連れてゆくというもので |
| ある。いずれも従来の本草書にはなかったもので、本草 |
| 学に新機軸をうちたてたといえよう。後世に大きな影響 |
| を与えている。 |