漢方医列伝










「漢方医列伝」

劉完素
(1120?〜1200?)

 

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 劉完素、字は守真、自ら通玄処士と号した。北宋に宣
和二年(1120)に河北省粛寧県で生まれ、三歳の時に
家が暴風雨の災害に遭い、一家で河間県に移り住んだの
で、劉河間とも呼ばれる。宣和七年(1125)、金兵が
南下して遼を滅ぼし、翌年北宋も滅ぼすと、金朝の民と
なり、金の章宗の承安五年(1200)に世を去りまし
た。享年80歳。
 少年時代、父はよく扁鵲が病を治した物語をしてくれ
ました。15〜16歳のころ母親が病気になり、家計が苦
しかったため、三度医者を頼みに行ったが来てもらえ
ず、死なせてしまい、そこで医学を学ぶ決心をしたとい
います。陳希夷を師として熱心に学び、のち独立・開業
して次第に名声が広まりました。金の皇帝章宗に三度出
仕を要請されましたが固辞し、章宗にその誠実さを愛さ
れて「高尚先生」の号を賜っています。
 劉完素は医学の中でも特に『素問』の奥義が深く、
『素問』を研究しなければ医療における実際の問題はう
まく解決できないと考え、25歳ころから研鑽に励みま
した。ある日、難解なところで思いあぐねていたとこ
ろ、ボーッと意識がかすんできました。すると門のとこ
ろから二人の道士がやってきて小さな盃で酒をすすめま
す。いくら飲んでも盃の酒が減りません。道士達は笑っ
て、「飲みあきたら盃を吐き出せばよい」と謎のような
ことを言って立ち去りました。はっと意識を回復すると
確かに酒の香りが残り、酔いでフワフワしています。こ
んな霊的体験の後、がぜん悟るところがあり、勉学と医
術は長足の進歩をとげ60歳になるまで35年間、寝食も
忘れて研究に没頭しました。
 劉完素は『素問』中の運気学説を特に熱心に研究し、
が「火熱」の要素によって引き起こされ、また風・湿・
燥・寒などの邪気も火と化して病となることを発見し、
「六気は皆火に従いて化す」と結論づけました。この
「火熱」に対して、治療としては寒涼の薬をたくさん用
いたので、後世「寒涼派」と呼ばれ、金元四大家の一人
に数えられています。
 彼の創方による「防風通聖散」は、私がもっとも愛用
する方剤で、こんなに役立つ漢方薬は少ないといってい
いくらいです。
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