漢方医列伝










「漢方医列伝」

王惟一
(987?〜1067?)

 

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 王惟一。宗の医学家。また名を惟徳といい、祖籍及び
生卒年は不詳です。
王惟一は禁方を授けられ、特に針灸に優れていまし
た。天聖元年(1023)、医官院に勤務していた王惟一
は朝廷の名を受け、当時広く用いられていた『明堂孔
穴』を校訂し、三年を費やし『図経』を編纂しました。
また、文字による記録よりも模型の方が直感的に理解し
やすいことを指摘し、天聖5年(1027)再び命を受け
て、模範とすべき針灸穴銅人模型二体を鋳造しまし
た。朝廷は一体を医官院に残し、もう一体を大相国寺仁
済殿に納め、人々は見たり触ったりできるようになりま
した。
 銅人の模型は人間と同寸大で、前半分と後ろ半分に分
かれています。中に五臓六腑があり、体表に経穴が刻さ
れています。経穴(ツボ)には錐で小さな穴があけら
れ、そばに穴名が記されています。外側に蝋を塗って中
に水をため、穴位を正確に刺すと、針が入って水が出て
くる仕掛けでした。刺し方が悪いと針は入りません。こ
の方法で針の打ち方の基本を訓練し、また針灸医の試験
にも用いられたのです。
 王惟一の著した『銅人穴針灸図経』は、手足三陰三
陽十二経の循行と経穴の位置、針の深さ、主な治病の症
例などを詳しく説いた重要な針灸専門書で、経穴数は
354に定められ、今日私たちが用いているツボと同じで
す。初め高さ六尺、幅二文の石碑に刻され銅人と一緒に
陳列されました。
 王惟一が銅人を造って以後、数多くの銅人が造られ、
針灸術の発展に多大な貢献をしました。
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