| 王惟一。宗の医学家。また名を惟徳といい、祖籍及び |
| 生卒年は不詳です。 |
| 王惟一は禁方を授けられ、特に針灸に優れていまし |
| た。天聖元年(1023)、医官院に勤務していた王惟一 |
| は朝廷の名を受け、当時広く用いられていた『明堂孔 |
| 穴』を校訂し、三年を費やし『図経』を編纂しました。 |
| また、文字による記録よりも模型の方が直感的に理解し |
| やすいことを指摘し、天聖5年(1027)再び命を受け |
| て、模範とすべき針灸穴銅人模型二体を鋳造しまし |
| た。朝廷は一体を医官院に残し、もう一体を大相国寺仁 |
| 済殿に納め、人々は見たり触ったりできるようになりま |
| した。 |
| 銅人の模型は人間と同寸大で、前半分と後ろ半分に分 |
| かれています。中に五臓六腑があり、体表に経穴が刻さ |
| れています。経穴(ツボ)には錐で小さな穴があけら |
| れ、そばに穴名が記されています。外側に蝋を塗って中 |
| に水をため、穴位を正確に刺すと、針が入って水が出て |
| くる仕掛けでした。刺し方が悪いと針は入りません。こ |
| の方法で針の打ち方の基本を訓練し、また針灸医の試験 |
| にも用いられたのです。 |
| 王惟一の著した『銅人穴針灸図経』は、手足三陰三 |
| 陽十二経の循行と経穴の位置、針の深さ、主な治病の症 |
| 例などを詳しく説いた重要な針灸専門書で、経穴数は |
| 354に定められ、今日私たちが用いているツボと同じで |
| す。初め高さ六尺、幅二文の石碑に刻され銅人と一緒に |
| 陳列されました。 |
| 王惟一が銅人を造って以後、数多くの銅人が造られ、 |
| 針灸術の発展に多大な貢献をしました。 |