| 初めて日本の医家の登場です。先史時代から中国では |
| 伝説上の神農からはじまって名医伝や名医の著作が残っ |
| てますが、日本では平安時代以前には、医学書はあった |
| のですが、残っていません。正倉院に保存されている薬 |
| 物を見ても、奈良時代あるいはそれ以前から薬や医方が |
| おそらくは仏教の伝来などに伴って流入してきたことは |
| 確かなようです。遣隋使や遣唐使が制度化されてから |
| は、これまで「列伝」にとりあげたような医学の著作 |
| は、間違いなく全部輸入されています。(*)もっとも |
| 中国でも日本でも当時の医学書にあるような漢方医学の |
| 成果を享受できたのは貴族階級の上層部だけで、一般 |
| 民は無関係だったことは言うまでもありません。 |
| 奈良から平安(京都)へ遷都されたのが794年です。 |
| 平安時代がスタートしてから百年目の894年に遣唐使の |
| 制度が中止されます。そのせいでしょうか、日本で医書 |
| がいくつか書かれます。『大同類衆方』などですが、現 |
| 存するのは丹波康頼の『医心方』全30巻のみです。 |
| この医学書は、これまでのシリーズで紹介した本の中 |
| では、11回目に登場した隋末唐初の巣元方『諸病源候 |
| 論』を土台にしており、引用文献は80冊の多きにわた |
| り、ここに引用されている書物には、中国ではすでに亡 |
| 佚したものが多く、文献学的にもたいへん貴重なもので |
| す。 |
| さて丹波康頼ですが、当時の知識人の多くがそうで |
| あったように、帰化人の末裔で、先祖は後漢の霊帝とい |
| われています。当時の記録に残っていて現存しない医学 |
| 書の著書は和気姓と丹波姓が多く、この二家系が連綿と |
| して日本の医家の代表として続きます。 |
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| *宇多天皇寛平天年間、藤原佐世が撰述した『日本国見 |
| 在書目録』には当時宮廷に存した中国医書1309巻が記録 |
| されており、これまでのこのシリーズに登場した中国の |
| 医学書はもちろん全部輸入されていたことがわかるし、 |
| 本国中国ではその後亡佚し、この目録によってしか窺い |
| しれない資料もある。 |
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| 丹波家と多気家がその後の日本の医家の二大家系とし |
| て連綿としてつづき、丹波康頼から下って約30代の江戸 |
| 時代には、丹波家の分家筋にあたる多紀家が代々幕府の |
| 官医のトップとなり、多くの著作を残し、日本の漢方医 |
| 学の発展に寄与しました。丹波本家の現在の当主は大霊 |
| 界でおなじみの丹波哲朗氏です。 |
| さて『医心方』全30巻は、当時、中国から伝わってい |
| た医学書約80冊からの引用と康頼が独自に日本風にアレ |
| ンジした内容とからなっています。第1巻の薬物論、服薬 |
| 禁忌からはじまり、第2巻はハリ治療について、第3巻は |
| 中風(脳卒中やケイレン)の湯液治療。以下皮膚科、耳 |
| 鼻科、口腔科、内科(腹痛、寄生虫、胸痛、嘔吐、下 |
| 痢、糖尿病、大小便異常、伝染病など)、外科(できも |
| の、外傷、火傷)、婦人科、産科、小児科、食中毒と、 |
| 全30巻にわたる総合医学書です。 |
| 「ことし例のもがさにはあらず、いとあかきかさのこ |
| まかな出来て、老いたる若き、上下わずかこれを病 |
| み・・・(栄華物語)」(もがさは疱瘡のこと。赤い細 |
| かいかさとは麻疹のことか)などなどの、流行病にしば |
| しばおそわれた時代に、この医学がどのくらい有効だっ |
| たかは御想像ください。 |
| 『医心方』は数奇な運命をたどって明治時代まで伝わ |
| りましたが、第28巻の「房内」はワイセツという理由で |
| 発禁であったため、戦後その部分が出版された時、何や |
| ら医心方=房術と誤解を受けたこともありました。一部 |
| 引用します。 |
| 夏の夜グッタリしていないでハッスルしてください。 |
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| 『令女仰臥。男女、一脚置於肩上、一脚自之。深内 |
| 玉茎入於丹穴中。大興哉!!』 |