| 中国は、紀元前後にまたがる四百年の漢の時代の後、 |
| 『三国史』の時代、南北朝の時代と戦乱をくぐり、589 |
| 年にようやく随により全国が統一されます。日本では、 |
| 聖徳太子の頃で、大和朝廷が全国の統一に向かっている |
| なかで、遣隋使を派遣して大陸の文物を吸収しようとつ |
| とめていました。随が続いたのはわずか20年ほどで、 |
| 618年に、唐に亡ぼされました。その後、907年に亡ぶ |
| までの約三百年間が唐の時代でした。 |
| 随から唐に移るころ、重要な医人が現れました。巣元 |
| 方です。彼は『諸病源候論』という医書の著者であると |
| いう他は、文献の記録がないので、その人となりはわか |
| りませんわずかに『随煬帝開河記』の中に、重病人を |
| 「風逆病」と診断し、羊肉(マトン)の入った処方をあ |
| たえ、数日で回復させたというエピソードが記されてい |
| るだけです。 |
| 随以前には、病院諸侯学を扱った書物はありませんで |
| した。巣元方は煬帝に上奏して『諸病源候論』を作るこ |
| とを提案し、勅命によってその計画が実行されました。 |
| これまでの医学書を整理し、明らかにされていなかった |
| 疾病を研究して、およそ5年後の610年に完成しまし |
| た。しかし刊行を目前にしながら、戦乱がおこり、随は |
| 唐に亡ぼされたのです。世に出ることのなかった原稿を |
| 発見したのは、唐代・玄宗の頃の国家の図書・資料を司 |
| る役人をしていた王?で、彼はその著書『外台秘要』の |
| 中で、名篇の最初に『諸病源候論』を引用しています。 |
| のちに宋代に至って、その価値が改めて見直され、はじ |
| めて単独で印刷出版されました。 |
| 『諸病源候論』は、病因諸侯学をまとめた書物として |
| は、初めての著作であり、急性伝染病から各種内科疾 |
| 患、外科、皮膚科、婦人科、小児科、眼科、耳鼻科 |
| 等々、当時の病気という病気の総まとめの、しかもその |
| 原因にも言及している、貴重な資料です。外科には、刃 |
| 物で断たれた腸を縫合するこんな記述があります。「腸 |
| 断者、両腸頭見者、可連続之。先以針縷如法、連続断 |
| 腸。」どうも開腹手術が行われていたようですね。 |
| その他、、この書物に引用されている古代の医学書 |
| は、散佚してしまったものが多く、ここだけで見られる |
| ものも少なくありません。そうした意味でも重要な文献 |
| となっています。 |