| 王叔和(おう・しゅくか)、名は煕。魏・晋代、山陽 |
| 高平(山東省微山)の人。後漢霊帝の光和3年 |
| (AD180)から西晋泰始6年(AD270)頃まで在世。 |
| 享年90才。 |
| 王叔和は、建安七子の中の代表人物である王粲(お |
| う・さん)の同族で、王粲と共に荊州に住んでいた。建 |
| 安18年、曹操が魏を建国すると、王粲は文官として曹操 |
| の側近となり、叔和はその高度な医術をかわれ、魏王国 |
| の太医令となった。 |
| 当時は魏蜀呉の三国が鼎立する『三国史』の時代で、 |
| 戦乱が絶えず、大群が通過したあとは、よく疫病が流行 |
| した。叔和は伝染病対策の為に、軍と行動を共にするこ |
| とが多かったが、一方太医令(医者の最高地位)という |
| 有利な地位を利用して、荊東や淮北などの地で、古医籍 |
| や、前回まで述べた張仲景の遺論や、華佗の方論をコレ |
| クションした。 |
| のち、AD265年に司馬炎が中国を統一し(「三国 |
| 史」の時代の終わり)、晋朝を建立すると、叔和は退官 |
| し、寸暇を惜しんで著作に没頭した。 |
| 王叔和が後世にもたらしさ大きな貢献は二つ。一つ |
| は、歴代の医書の中から脈に関する資料を整理転載し、 |
| 自らの脈論も併せて『脈経』を撰したこと。この本には |
| 現代の私共が診察するときに用いる脈診の手段、脈の分 |
| 類、臨床的定義などがほぼ完全に述べられています。ま |
| たこの『脈経』には、歴代の医書がほとんど引用されて |
| いるので、それらの医書の文章の成立年代等を確定する |
| ときに、ひとつの基準となり、医学誌資料としても一級 |
| 品なのです。その二。前回まで登場していた、張仲景の |
| 『傷寒雑病論』は仲景の死後、わずか10年で戦乱のため |
| に散逸してしまいました。王叔和がよくこれを収集し |
| て、編集復刻したのです。 |
| 約1000年後に『注解傷寒論』を再編纂した成無己は、 |
| 「仲景の書(傷寒雑病論)は成立後一千年にもなる |
| が、いまもって取り立てて用いられるのは、王叔和のお |
| かげである」 |
| と叔和を称えています。 |