漢方医列伝










「漢方医列伝」

滑寿
(1304〜1386)

 

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 滑寿、字は伯仁。自ら寧生と号した。元の成帝大徳
八年(1304)に儀真(今の江蘇省)で生まれ、晩年は
余姚(今の浙江省)に移り住み、明の洪武十九年
(1386)、享年82歳で世を去りました。
 幼い頃から聡明で、詩文も達者でしたが、科挙の試験
に受からず、儒を棄て医を志しました。当時都で名医と
名高い王居中が儀真に滞在していたので、師と仰いで
『素問』『難経』などを学び、それから東平の高洞陽に
針を学び、開合流注と方円補瀉の道をことごとく得て、
薬物治療だけでなく針灸学にも精通し、江南に名を広め
ました。
 『内経』と『難経』を重視しましたが、初学者がこの
古典医学書を読みこなすのは難しく、学問の流れや要点
をつかんで諸家の説を理解することが先決だと考え、
『諸素問鈔』『難経本義』を著して、後学を指導しました。
 『諸素問鈔』三巻は、『素問』の精華を選んで編纂し
直し、臓象・脈候・病能・摂生・論治・色脈・針刺・陰
陽・標本・運気・匯萃の十二部に分けたもので、この素
問研究のやり方は、後世の張介賓による素問の研究書
『類経』の先駆をなすものでした。
 『難経』はこのシリーズに登場した秦越人扁鵲によ
るといわれるハリ治療の古典ですが、滑寿は元時代以前
の各種注本を参考に、彼独自の見解も入れ、『難経』の
缺文・錯簡を整理しました。こうして著した『難経本義』
二巻は、テキストとして後世最も信頼されたもので
す。日本でも江戸時代初期、森本玄閑により『本義』を
もとに、さらに『本義大鈔』が著され、現在当院で行わ
れているような経絡治療につながっています。
 当時、方薬が流行していて、針灸は軽視され、経絡兪
穴も知らない医者が増えていましたが、滑寿は「古人は
治療は針灸が主で、薬物湯液を採用する場所は少なかっ
た」と考えていました。そこで経絡兪穴に関する資料を
集め、常用十二経に加えて、奇経の中の任脈・督脈を昇
格させ、あわせて常用十四経とし、『十四経発揮』三巻
を著し、至正元年(1341)に刊行しました。私たちも
通常この十四経に属している経穴(ツボ)を使っている
のです。
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